主な分家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 20:31 UTC 版)
斎藤系茂庭氏分家のうち重臣としての家格を与えられたのは、綱元の三男・実元の家系(着坐・文字茂庭氏)と、姓元の二男・元咸の家系(太刀上・平渡茂庭氏)の2系統である。 綱元の三男・実元は、綱元隠居領の栗原郡文字などを相続し、その家系は着坐の家格を与えられて2,486石を知行したが、元禄7年(1694年)に第3代・常実が本藩より預かりを命じられていた元・河路武兵衛(宮津藩士)に逃亡されたため、責任を問われて改易された。 姓元の二男・元咸は、元禄11年(1698年)に父から志田郡平渡など1,348石を分与されて別家を興し、太刀上の家格を与えられた。この家系は幕末に至るまで存続し、第8代・元徳は戊辰戦争の敗戦にともない所領を没収された際に、私財をあらかた処分して帰農する家中の救済に充てたという。元徳は1889年(明治22年)から鹿島台村の初代村長を務めている。
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