中興開山と開基とは? わかりやすく解説

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中興開山と開基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 18:36 UTC 版)

妙円寺 (平塚市)」の記事における「中興開山と開基」の解説

新編相模国風土記』の土屋の条に 妙圓寺和光醫王院と號す。開山舜堯。承應三年十二月 二十一日卒。開基月盛妙圓。正保四年十二月十九日寂。村民の祖水嶋五郎右衛門と云し者の母なり。 本尊彌陀鐘楼。鐘は元禄五年の鋳造なり。辯天社社邊岩屋入口二間深五間餘)内に形の神躰及び傳教慈覚の像を安ず。薬師堂本尊行基作と云(秘仏)。水嶋五郎右衛門建立す。 とある。 一方開基檀越水嶋家に保管されている16住職記した天保12年1841年)の分限書上によれば、舜堯法印中興開山となっており、また、當寺に残る他の記録同様に中興開山とあることから、それ以前のことは不明であるが、舜堯が中興開山、月盛妙圓禅尼開基となったことにまちがいない。 舜堯法印は、多年比叡山修行研学された後地方巡錫の旅に出て幽玄なこの地を生涯修禅道場定められた。舜堯法印求道の心は、やがて相模国土屋豪族水嶋氏(村民の祖土屋一族後裔・また甲斐武田家重臣加藤駿河守後裔で、武田家滅亡の後土屋に居を構え、姓を水嶋改めたとも伝わる家系水嶋五郎右衛門の母月盛妙圓禅尼帰依により、元和元年1615年)に現在の和光醫王院妙圓寺中興開山されたと伝えられている。

※この「中興開山と開基」の解説は、「妙円寺 (平塚市)」の解説の一部です。
「中興開山と開基」を含む「妙円寺 (平塚市)」の記事については、「妙円寺 (平塚市)」の概要を参照ください。

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