中興開山と開基
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「妙円寺 (平塚市)」の記事における「中興開山と開基」の解説
『新編相模国風土記』の土屋村の条に 妙圓寺。和光山醫王院と號す。開山舜堯。承應三年十二月 二十一日卒。開基月盛妙圓。正保四年十二月十九日寂。村民の祖水嶋五郎右衛門と云し者の母なり。 本尊彌陀。鐘楼。鐘は元禄五年の鋳造なり。辯天社。社邊の岩屋(入口二間深五間餘)内に蛇形の神躰及び傳教・慈覚の像を安ず。薬師堂。本尊は行基作と云(秘仏)。水嶋五郎右衛門建立す。 とある。 一方、開基檀越の水嶋家に保管されている16世住職の記した天保12年(1841年)の分限書上帳によれば、舜堯法印が中興開山となっており、また、當寺に残る他の記録も同様に中興開山とあることから、それ以前のことは不明であるが、舜堯が中興開山、月盛妙圓禅尼が開基となったことにまちがいない。 舜堯法印は、多年比叡山で修行研学された後地方巡錫の旅に出て、幽玄なこの地を生涯の修禅の道場と定められた。舜堯法印の求道の心は、やがて相模国土屋の豪族水嶋氏(村民の祖土屋一族の後裔・また甲斐武田家の重臣加藤駿河守の後裔で、武田家滅亡の後土屋に居を構え、姓を水嶋と改めたとも伝わる家系)水嶋五郎右衛門の母月盛妙圓禅尼の帰依により、元和元年(1615年)に現在の和光山醫王院妙圓寺が中興開山されたと伝えられている。
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