中興・源珍と蕎麦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:15 UTC 版)
「医王寺 (葛飾区)」の記事における「中興・源珍と蕎麦」の解説
源珍(げんしん、寛正6年(1465年)-弘治3年(1557年))は真言宗の僧。 源珍25歳のときに、高野山に入山したが、1521年(大永元年)に高野山で大火があり、その復興勧進のために、源珍は全国行脚することになった。行脚の途上、山中において脚気で動けなくなったところを村人に助けられ、恵比寿天像と蕎麦粉の寄進を受けた。源珍は蕎麦を食べながら、恵比寿天に21日間礼拝したところ、身体が回復したという。 行脚再開後は、各地の農民に蕎麦の栽培を勧め、商人にも蕎麦の流通を勧めた。後に源珍は当寺に定住することになるが、この故事により「そば寺」と呼ばれるようになり、蕎麦店の信仰を集めるようになった。柴又七福神の恵比寿像もこれに由来する。 当寺に安置している地蔵菩薩像「そば地蔵尊」は、源珍を模したものとされており、今もなお蕎麦店関係者が参拝に訪れるという 戦前から昭和40年代までは、蕎麦店が結成した「えびす講」が盛んで、正月や縁日には蕎麦が無料でふるまわれたという。
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