カトリック中町教会とは? わかりやすく解説

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カトリック中町教会

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 15:56 UTC 版)

カトリック中町教会
座標: 北緯32度45分6秒 東経129度52分26.6秒 / 北緯32.75167度 東経129.874056度 / 32.75167; 129.874056
所在地 長崎県長崎市中町1-13
日本
教派 カトリック教会
ウェブサイト http://nakamachi.sakura.ne.jp/
歴史
創設日 1889年 (1889)
守護聖人 聖トマス西と15殉教者
初期守護聖人ヨセフ
関連人物 イグナチオ本島等
管轄
教区 カトリック長崎大司教区
教会管区 カトリック長崎教会管区
聖職者
大主教
(大司教)
ペトロ中村倫明
主任司祭 使徒ヨハネ山脇守
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カトリック中町教会(カトリックなかまちきょうかい)は、長崎県長崎市にあるキリスト教カトリック)の教会およびその聖堂である。長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつであり[1]、残った塔や外壁を利用して復元された[2]

歴史

明治時代、長崎の市街地にあるカトリック教会は大浦天主堂の他になく、日本人信徒のための教会が求められており、フランス人女性からの寄付を受け大村藩蔵屋敷跡に建築された。設計はパリ外国宣教会パピノ神父

  • 1897年(明治30年)9月8日 - 献堂式を挙行。
  • 1933年(昭和8年)5月15日 - 松山城放火事件の犯人により西中町天主堂(現・中町教会[3])が放火され全焼、付近に民家にも延焼し、10棟17戸を焼く[4]
  • 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市への原子爆弾投下により、爆心地の2.6キロメートル南南東に位置する当教会も被災。爆風により天井の崩落など損壊し、その後発生した火災により側壁と尖塔以外が焼失した[5]
  • 1946年(昭和21年)12月 - 木造の仮聖堂が完成。
  • 1950年(昭和25年)1月 - 聖堂復旧に着手。
  • 1951年(昭和26年)10月16日 - 聖堂の復旧工事が完了し、山口愛次郎司教によって祝別された[6]

教会の保護者

敷地内の施設等

所在地

  • 〒850-0055 長崎県長崎市中町1-13[7]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 長崎の原爆遺構を記録する会『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社、2005年。p. 75。
  2. ^ 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 p22 長崎文献社 ISBN 9784-888510912
  3. ^ 被爆の長崎映す「戦災絵はがき」 12枚の写真が語るもの西日本新聞、2020/5/29
  4. ^ 『犯罪調書』井上ひさし、集英社(1984)p189
  5. ^ 長崎の原爆遺構を記録する会『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社、2005年。p. 76。
  6. ^ 『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』 p134 長崎文献社 ISBN 9784-888510912
  7. ^ カトリック中央協議会出版部編「住所録」『カトリック教会ハンドブック2015』カトリック中央協議会、2014年11月10日。252頁。ISBN 978-4-87750-556-1

関連項目

外部リンク

  1. ^ 本島等さんを偲ぶミサの案内”. カトリック長崎大司教区. 2024年2月5日閲覧。



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