中村 (青森県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 09:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動なかむら 中村 | |
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廃止日 | 1955年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 鰺ヶ沢町、赤石村、中村、舞戸村、鳴沢村 → 鰺ヶ沢町 |
現在の自治体 | 鰺ヶ沢町 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 東北地方 |
都道府県 | 青森県 |
郡 | 西津軽郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,654人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
鳴沢村、舞戸村、赤石村 中津軽郡岩木村、弘前市 |
中村役場 | |
所在地 | 青森県西津軽郡中村大字中村字中山の井155番地 |
座標 | 北緯40度45分27秒 東経140度13分42秒 / 北緯40.75739度 東経140.22847度座標: 北緯40度45分27秒 東経140度13分42秒 / 北緯40.75739度 東経140.22847度 |
ウィキプロジェクト |
地理
- 河川:中村川、徳明川、白沢
- 山岳:白草山、石倉山、扇ノ金目山、笹森、鍋森山、杭子山
- 池沼:黒坊沼
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により西津軽郡中村、長平村、芦萢村、浜横沢村が合併し、中村が発足。
- 1939年(昭和14年)8月1日 - 中津軽郡岩木村の大字松代を編入。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 西津軽郡鰺ヶ沢町、赤石村、舞戸村、鳴沢村と合併し、鰺ヶ沢町を新設し消滅。
経済
産業
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、中村の篤農家は、「北川彌平、日照田春吉、一戸才門四郎、一戸虎三郎」などである[1]。
出身・ゆかりのある人物
- 一戸才門四郎(中村村長、郡会議員)
脚注
- ^ 『大日本篤農家名鑑』451頁(国立国会図書館デジタルコレク井上ション)。2019年11月18日閲覧。
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『東奥年鑑』1954年版職員録50頁「町村役場 西郡・南郡」。
- 『青森県市町村合併誌』587頁「第三編 第一章合併に至るまでの経緯の概要及び合併当時の市町村の状況 第一〇節鯵ヶ沢町」。
関連項目
「中村 (青森県)」の例文・使い方・用例・文例
- 中村さんですよね
- 後藤投資株式会社のシステム二課の中村と申します。
- 中村さんは東京ではしご酒をした。
- 中村さんはご在宅ですか。
- 大阪の中村さんから料金受信人払いの電話が入っています。お受けになりますか。
- 会は中村氏の司会で開かれた.
- 中村は反則で退場となった.
- (内線で)中村はただ今会議室におります. そちらへ電話をお回しいたしましょうか.
- 中村何とかといったっけ.
- タイムアップ寸前に中村がワンゴールを決めた.
- 中村字根岸
- 秀吉は尾張中村で産声を揚げた
- (江戸時代)江戸三座という,中村座と市村座と森田座の三劇団
- 中村市という市
- 中田英(ひで)寿(とし)選手,中村俊(しゅん)輔(すけ)選手,小野伸(しん)二(じ)選手,稲本潤(じゅん)一(いち)選手がヨーロッパから戻り,代表チームに加わった。
- 秋(あい)穂(お)巧(たくみ)(中村獅(し)童(どう))は,1年前,妻の澪(みお)(竹内結(ゆう)子(こ))を失った。
- 最も高い技量を持つ最後の挑戦者は日本人格闘家,田中安(あん)野(の)(中村獅(し)童(どう))だ。
- そのリストには,ミッドフィルダーの中田英(ひで)寿(とし)選手,中村俊(しゅん)輔(すけ)選手,小野伸(しん)二(じ)選手らがいる。
- 歌舞伎俳優の中村勘(かん)三(ざぶ)郎(ろう)さんはその団体の発起人の1人だ。
- 開会式の選手宣誓で,三重高校の中村浩(ひろ)樹(き)主将は「全力プレーで日本中を熱くします。」と誓った。
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