中宮=皇太夫人の時代とは? わかりやすく解説

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中宮=皇太夫人の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 04:52 UTC 版)

中宮」の記事における「中宮=皇太夫人の時代」の解説

大宝律令制定後女性天皇即位することが続き皇后立てられることがなかったので、中宮職実際に機能しない状態が続いた唯一の男性天皇である文武天皇も、最高位の妻は夫人である藤原宮子であり、皇后立てことはなかった。 しかるに神亀元年724年)に聖武天皇即位すると、生母宮子皇太夫人称することとされたが、このとき中宮職設置され皇太夫人宮子奉仕することになった皇太后準じる待遇で、皇后ではなかった母の権威高めるために天皇がとった特別措置といえる。このとき后位にある者がほかに誰もいなかったために可能だった措置でもあった。中宮職奉仕されていることに基づき宮子中宮呼ばれることもあった。 その後天平元年729年)に夫人藤原安宿媛皇后立てられると、宮子付置されている中宮職扱い問題となった。令の規定従えば中宮職皇后安宿媛に付置されるべきである。しかし、天皇は、皇后のためには令外官として皇后宮職新たに設置し中宮職そのまま皇太夫人宮子奉仕続けさせることを選んだ宮子は孫の孝謙天皇即位する太皇太后称号贈られたが、そのまま天平勝宝6年754年)の崩御まで継続して中宮職奉仕された。一方聖武譲位ともなって皇太后となった安宿媛には、あらため新設され皇太后宮職紫微中台)が付置され、天平宝字4年760年)の崩御まで、一貫して皇太后宮職奉仕された。 この一連の経緯その後定例となり、皇后には皇后宮職皇太后には皇太后宮職太皇太后には太皇太后宮職皇太夫人には中宮職それぞれ個別設置され奉仕に当たる体制できあがったちなみに太皇太后宮職設置がはじめて史料的に確認できるのは貞観6年864年)に太皇太后となった藤原順子ケースである。 中宮職皇太夫人専属官司となるのにともない中宮もまたもっぱら皇太夫人呼称として用いられることになった宮子以後淳仁天皇生母当麻山背から醍醐天皇養母藤原温子まで、7人の皇太夫人現れたが、いずれも中宮職奉仕された。そのうちの4人はその後さらに皇太后転じているが、その際あらため皇太后宮職設置され奉仕している。

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