中国政府と日本の大虐殺派の距離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:50 UTC 版)
「南京事件論争史」の記事における「中国政府と日本の大虐殺派の距離」の解説
中国政府は、日本の大虐殺派(南京事件調査会など)にかつては「20万以上」と30万を包容しうるもの形の者が多くいたことに対し、現在では多い研究者でも20万となっていることから、これらを自分らの考えと全く異なるものと見做していると思われる。2004年には南京大虐殺紀念館が松岡環を表彰した。松岡自身は「南京には20万人しかいなかったから30万人殺せる筈がない」といった議論には否定的であるものの、虐殺総数の試算等には関知せず、個々の事件とその証言を追うことが研究の中心だが、この表彰等に中国の思惑を考える人間もいる。時沢和男は「中国人の批判を百パーセント受け入れる人間を作り出す」ことが新しい親中グループの目的であるとしている。秦郁彦は、もはや学術論争から、歴史認識を巡って法廷闘争も伴う政治的紛争へ移行しつつあると述べている。また、秦は、中国政府が日本の大虐殺派に不信を感じ距離をとったため板挟みとなって笠原十九司は「南京大虐殺よりも重大で深刻な」三光作戦を裁くべきだと方向転換を示唆した、と評している。
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