中国の社稷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 06:00 UTC 版)
明清帝国の北京社稷壇は、現在の北京市内、紫禁城の南、天安門の西側にある、中山公園に存在する。唐代から存在した寺を利用して、明の太祖である朱元璋が1420年に建立したとされる。中山公園という名称は、中国革命の父と呼ばれる孫文(号:中山、1925年没)の柩が園内の中山堂に安置されていることに由来する。中山堂自体は元々は拝殿であり、明代に建設されたとされ、明代、清代の皇帝が風雨を避け神を祀る行事を行う場所であったが、孫文の棺が安置された後、1928年に中山堂と称され、社稷壇ぜんたいも中山公園と改称された。中国の統治者はここで天命を受けるものとされてきた。中山公園には、今もなお、天地を繋ぐとされる、樹齢千年に達するとも言われる柏の大木が多数存在し、奇観を呈している。2021年5月、中山公園の獅子像の説明文から、文化大革命中に紅衛兵らによる破壊を防ぐためいったん隠されたという部分が削除された。このことは、中華人民共和国の最高権力者である習近平氏(中国共産党総書記、国家主席)もまた、中国の統治者として中山公園(北京社稷壇)に注意を払っていることを示すものと受け止められている。
※この「中国の社稷」の解説は、「社稷」の解説の一部です。
「中国の社稷」を含む「社稷」の記事については、「社稷」の概要を参照ください。
- 中国の社稷のページへのリンク