中京の浪曲師
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中京の浪曲師、というより主に関東に進出していった中京節の一覧である。 末広亭清風 - 寄席「新宿末廣亭」の名前が残る。明治期の重鎮。 五代目天中軒雲月: - 四代目の弟子。女流。現在は浪曲親友協会理事で日本浪曲協会にも所属。 鼈甲斎虎丸 - 中京節の第一人者。「安中草三」の連続読みは有名。五代まで続き、現在は継ぐ者がいない。初代鼈甲斎虎丸 - 東京に進出、同郷の人に寄席「虎丸亭」を作ってもらい、定着に成功。 二代目鼈甲斎虎丸 - 後に鶴堂を名乗る。 三門博 - 東京へ出て、御門博から戦時の時節柄、改名。「唄入り観音経」が空前のヒット。 三河家梅車(みかわや ばいしゃ) 三河家円車(みかわや えんしゃ) - 「ドンドン節」が大流行。梅車の弟子。 港家小柳(みなとや こりゅう) - 「深川裸祭り」が継承ネタ。5代目は2017年に没。東京の協会に属していた。 港家小柳丸 - 「寄席打ちの名人」。「亀甲組」など任侠物を得意としていた。3代目は中京浪曲協会会長。
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