中一中の罪人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:38 UTC 版)
謝が台湾省議会議長在任中の1969年、中一中の校長であった段茂廷は、教室不足の解消を理由として、日本統治時代に建てられた赤レンガの2階建て校舎(中一中紅楼)を取り壊し、4階建てのコンクリート製新校舎を建築しようとしていた。この計画は、中一中の教師、生徒、同窓生による激しい反発を引き起こしたため、段は省議会議長の謝に救援を要請した。自身も中一中の同窓生である謝はこれを快諾し、母校での講演で「舊的不去、新的不來」(古いものが去らなければ、新しいものは来ない)と述べ、旧校舎は取り壊されることになった。台湾省政府は迅速に取り壊しの資金割り当てを行い、旧校舎は1971年に完全に姿を消した。跡地には4階建てのコンクリート製校舎「荘敬楼」が、現在に至るまで建てられている。 しかしながら、築40年を超えた荘敬楼は老朽化が激しく、ひび割れや漏水が起こっている。2017年、当時の台中市長である林佳龍が紅楼の再建案を支持し、同窓会からも再建費用の寄付が持ち上がるなど、近年かつての校舎を懐かしむ声が増加し始めた。その背景には、同じく日本統治時代に建設され、現在でも台北市立建国高級中学校舎として機能している建国中学紅楼(中国語版)の存在がある。中華民国直轄市定古蹟である建国中学の同校舎を引き合いに、中一中の大きな損失と、台湾教育史の断裂を招いた「中一中の罪人」である段茂廷、謝東閔両者に対する非難は大きい。
※この「中一中の罪人」の解説は、「謝東閔」の解説の一部です。
「中一中の罪人」を含む「謝東閔」の記事については、「謝東閔」の概要を参照ください。
- 中一中の罪人のページへのリンク