中リューネブルク家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 05:17 UTC 版)
「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家」の記事における「中リューネブルク家」の解説
当初はマグヌス2世の3男であるハインリヒ1世がリューネブルクを統治していたが、その息子の代に伯父のベルンハルト1世と領土を交換し、以後はベルンハルト1世の子孫がリューネブルクを専ら統治した。直系は1559年のフランツ・オットーの死で断絶した。 フランツ・オットーの弟であるハインリヒの子孫はブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家となり、もう1人の弟であるヴィルヘルムの子孫はブラウンシュヴァイク=カレンベルク家となった。1634年の中ブラウンシュヴァイク家が断絶を受けて前者がヴォルフェンビュッテルを、後者がカレンベルクをそれぞれ継承した。
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