両備軽便鉄道高屋線
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「井笠鉄道神辺線」の記事における「両備軽便鉄道高屋線」の解説
このエリアに最初に鉄道建設を計画したのは、主に福山をはじめとする広島県側の資本によって設立された両備軽便鉄道(後に両備鉄道と改称)であった。 両備軽便鉄道は両備、つまり路線が備中国と備後国にまたがることを示す社名が物語るとおり、当初は広島県東端の城下町である福山と、岡山県側の高屋を結ぶ路線の建設を企図して創設された企業である。同社は1910年4月21日に公布された軽便鉄道法に基づいて、福山 - 神辺 - 高屋(現在の子守唄の里高屋駅付近)と神辺 - 府中町間の2線区の敷設免許を1911年に出願、同年8月に免許を交付され 、1913年より建設工事を開始した。しかし、資金難などの事情から神辺 - 高屋間を後回しにして後に本線となる福山 - 神辺 - 府中町間の建設を優先的に実施した。 残る神辺 - 高屋間の工事については、本線の開業後しばらく業績が低迷したこともあって着工しないまま延期され、遂には工事未着工により一旦は免許失効という事態に陥ってしまう。だが、井原・高屋から神辺を経由して福山へ向かう旅客・貨物の輸送需要は少なからず存在しており、両備軽便鉄道は1918年7月13日に再度同区間の免許を取得、様々な事情で工事は大幅に遅れたものの、1922年4月9日、高屋線として神辺 - 高屋間7.8kmをようやく開業した。
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