世界シェアの下落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 17:48 UTC 版)
「ブラジルにおけるコーヒー生産」の記事における「世界シェアの下落」の解説
コーヒー産業からの歳入は、1930年代の世界恐慌の影響で1ポンド当たりの価格が22.5セント(1929年)から8セント(1931年)に急降下するまでブラジル経済を牽引し続けた。税収(英語版)によりブラジルの貿易収支は黒字を保ち、道路、港湾、通信システムの建設に充てられた。 ブラジル南東部のサンパウロとリオデジャネイロの間にあるパライーバ渓谷(英語版)は、現在は荒廃しているが、かつてはコーヒー栽培で賑わった場所であった。この地域の赤い土壌の生産性は高く、通常の土地では最大でも25年間コーヒーを生産し続ければ土壌が枯れてしまうところを、この地域の土壌では30年間コーヒーを生産することができた。イタリア人がこの土のことをイタリア語で「赤い土」を意味する"terra rossa"と呼んでいたことから、現地の人々はこの土壌のことを"terra roxa"と呼ぶが、これはポルトガル語で「紫色の土」を意味する。 1920年代、世界のコーヒー市場はほとんどブラジル産コーヒーによる自然独占の状態にあり、世界シェアのおよそ80パーセントを占めていた。しかし1950年代になると世界的にコーヒーの生産が盛んになり、ブラジル産コーヒーの占める世界シェアは徐々に減少していった。ブラジル政府によって工業化支援政策も行われたが、ブラジル経済はコーヒー産業に依存し続け、1960年になってもなおブラジルの輸出の60パーセントをコーヒーが占めていた。19世紀のころと比較するとこれは90パーセント近くも高い数字であった。
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