与倉喜平とは? わかりやすく解説

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与倉喜平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 08:16 UTC 版)

与倉 喜平(よくら きへい、1865年11月2日慶応元年9月15日[1])- 1919年大正8年)6月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[2]宮崎県出身[2]。旧姓・中万[3]

人物

日向国(宮崎県)で中万弥九郎の二男として生まれる[1]1894年(明治27年)5月、故与倉知実陸軍中佐の長女・幹(みき)と結婚し与倉家の家督を相続した[1][3]

陸軍士官学校(旧10期)、陸軍大学校(11期)を卒業後、累進して1907年(明治40年)歩兵第1連隊付(中佐)となり、のち陸軍歩兵大佐に昇進して同連隊長を拝命する。その後、中清派遣隊司令官等を経て陸軍少将となり、歩兵第35旅団長や陸軍士官学校校長(第20代)を務めた。1918年(大正7年)7月24日に陸軍中将になったが、翌年待命中に卒去した。

経歴

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』よ2頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本陸軍将官総覧』145頁
  3. ^ a b 『薩摩の武人たち』48頁。
  4. ^ 『官報』第7308号「叙任及辞令」1907年11月6日。
  5. ^ 『官報』第8611号「叙任及辞令」1912年3月6日。
  6. ^ 『官報』第353号「叙任及辞令」1913年10月1日。
  7. ^ 『官報』第760号「叙任及辞令」1915年2月16日。
  8. ^ 『官報』第1794号「叙任及辞令」1918年7月25日。
  9. ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
  10. ^ 『官報』第1671号「叙任及辞令」1918年3月1日。
  11. ^ 『官報』第2048号「叙任及辞令」1919年6月3日。
  12. ^ 『官報』第6728号「叙任及辞令」1905年12月2日。

参考文献

  • 官報
  • 『日本陸軍将官総覧』新人物往来社
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 浜島速夫『薩摩の武人たち:三代軍人列伝』南日本新聞社、1975年。



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