上毛野氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 02:23 UTC 版)
上毛野小熊は、のちに中央官人として名を残す上毛野氏の1人で、初めて「上毛野」を冠して記された人物でもある。「国造本紀」には上毛野国造に彦狭島命(上毛野氏遠祖)が任じられた旨の記載もあり、上毛野小熊含め上毛野氏は国造であったと推測されている。 上毛野氏の拠点とする上毛野地域で築かれた古墳は、量・規模とも東日本で群を抜いており、古墳時代には大きな文化圏を築いていたことが知られる(詳しくは「毛野」を参照)。この上毛野勢力の乱への寄与を巡り、定説では「使主 - 大和朝廷」対「小杵 - 上毛野」という上毛野氏の独立性を強調した対立構造が提唱されている。この中で、小杵の敗死とともに上毛野に緑野屯倉が設けられ、上毛野勢力が大きく削がれたと指摘される。一方で、上毛野小熊が助けの求めに応じた記載はなく明らかでないこと、小熊が処罰を受けた記載がなくむしろ小熊以降に上毛野氏の繁栄が見られること、緑野屯倉が事件に関わるという証拠がないことなどから反論もある。
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