三苗の末裔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 14:13 UTC 版)
王符所『潜夫論』には「危」氏が三苗の後裔であるということが記されていたり、また現在のミャオ族(苗族)の祖先が三苗であるとの説が存在していたりもするが、明確には解明されていない。現在のミャオ族の直接の祖先にあたると考えられる民族が「苗」という表記で中国の文献に登場したのは宋や明の時代以後であり、彼らは武陵蛮(槃瓠)の子孫であるとされている。 三苗人たちは後代には南蛮あるいは荊蛮(けいばん)と呼ばれ、中国南部の民族として諸王朝と対立したとも考えられてきた。歴史学者・徐松石は『粤江流域人民史』(1939年)で南蛮と称された民族のうち、原漢族が南方へくだり南方民族と混血したのがミャオ族であるとの説をあげている。また、その一部が日本列島に渡って日本人の祖先になったとの説もあり、ミャオ族の間で作られていた銅鼓と日本で出土する銅鐸に似た文様の要素があるという点がその根拠として鳥居龍蔵によって挙げられてもいた。ミャオ族の祖先は三苗であるという説と同様、いずれも三苗とミャオ族の関係が明確には説かれてない部分がそれぞれあり、神話伝説や『山海経』に記された三苗人たちとの完全に結び付けられない面もある。
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