三浦学園設立
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1938年に、金城英語学校の経営者・大塚繁之助から「学校を買わないか?」という話持ちかけられ、1939年に初代校長に眞嶋正市博士を迎えて名古屋第一工学校を開校する。開校当時は一部(昼間)・二部(夜間)の二部制で電気・機械・応用科学の三学科構成で修業年限は3年だった。しかし、太平洋戦争の末期に米軍の激しい空襲にさらされた。この空襲により名古屋第一工学校は本校・分教場ともに焼失した。しかし幸いにも学校の中では死者や怪我人は一人も出なかった。新校舎ができるまでの当面の間、愛知女子商業の教室を借りていた。学校は再開したが次第に新入生も減り、借用教室の数も減らされていき、昭和22年度から生徒募集を停止せざるを得なくなった。新校舎を建てなければと考えていた際に、財団法人愛知常磐女子商業学校の経営者に再建の意思がなく、合併の話が持ち掛けられた。合併により、常磐高等学校として新制の高校が発足した。それとともに法人の名称と人事の一新も図り、三浦幸平理事長の財団法人が正式に誕生した。
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