三浦家による再立藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:43 UTC 版)
三浦正次は土井利勝の甥にあたり、幼少時から徳川家光に近侍した人物である。元和4年(1618年)、三浦正次が矢作領に780石を与えられる。以後、正次は次第に出世して加増を受けて石高も5000石にまで昇進する。 寛永7年(1630年)に正次は5000石の加増を受けて1万石の大名となり、矢作藩が再立藩された。正次は寛永10年(1633年)に六人衆(のちの若年寄)の一人となり、寛永15年(1638年)には島原の乱で上使として現地に赴いた。 寛永16年(1639年)、正次は下野壬生藩に移封となったため、矢作藩は再び廃藩となった。
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