三本の棒道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 20:45 UTC 版)
棒道には「上・中・下」の三本の棒道が通っていたとされているが、現在においても正確な経路は未だはっきりしていない点が多い。人によっては、三本存在してはいなかったという説もある。1991年には『長野富士見町史』において林増巳は近世の文献史料や現地調査により、真の棒道は「上の棒道」小荒間から湯川までの直線区間であると推定している。 棒道の起点は説が多々存在するが、穴山村(現韮崎市の穴山町)か若神子村(現北杜市の須玉町)とする説が根強い。その後、道中に棒道が三本に分かれるとする。 上ノ棒道 起点から渋沢村へ至り、大八田村に到着する。その後、白井沢村から小荒間村(以上全て現在の長坂町)を経て、小淵沢村(現小淵沢町)の山間部を通って信州立沢村(現富士見町)に至るのが上ノ棒道である。 「信玄の棒道」として現存しているのは、この上ノ棒道である。 中ノ棒道 大八田村から大井ヶ森村(現長坂町)、小淵沢村を経て、信州立沢に至る道であるとされる。小淵沢町誌(1983年)によると、揉合神社(小淵沢町)の前を通り、富士見町境葛窪地区に抜ける町道(現在は八ヶ岳リゾートアウトレットが沿道に立地している)がかつての中の棒道であるとされる。この町道は山道としてかすかに痕跡のみが残っていた中の棒道を、戦後開拓の際に入植した者がそれに沿う形で、大井ヶ森から篠原(小淵沢町)を経て葛窪へと至る道を開拓道路として切り開いたのが起源だといわれる。 下ノ棒道 渋沢村より小淵沢村を経て、信州田端(現富士見町)に至る道であるとされる。小淵沢町誌(1983年)によると、小淵沢町松向〜上笹尾において一部区間が消滅しているものの、上笹尾以西では「原路」とのちに名を変えたとして、信州往還とも呼ばれた甲州街道の原路に比定している。ただし現在の県道17号線の路線ではなく、バイパスの開通によって町道へと降格した、小淵沢町高野地区を経由する旧道の方である。 立沢村は経由地ではなかったという説や、そもそも中の棒道と下の棒道は存在しなかったという説、逸見路だとする説などもあり、棒道については未だ謎に包まれている点が多い。
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