三教交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 15:00 UTC 版)
南北朝になると、道教・儒教・仏教の三教の優劣が争われることがあった。北朝では、北周の武帝のもとで公開討論が実施され、 道教は儒教および仏教と三つ巴の抗争時代へと入り、それは権力者の目前で論争するという敗れれば存亡に関わる厳しい状況で行われた。そのため充分な理論の形成が必要となった。南朝で形成された「三洞四輔」をさらに深め三洞をそれぞれ12部に分けて充実させた「三十六部尊経」を作り上げた。また、仏教に対する優位性を示すため、老子が西域に渡り釈迦になったという説を西晋の王浮が述べた『老子化胡経』や、仏教の「三界二十八天」を上回る「三界三十六天説」を作り出すなど、教理の拡充と強化を進めた。
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