三世家元 三代目井上八千代
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「井上八千代」の記事における「三世家元 三代目井上八千代」の解説
本名・片山春子(天保9年2月1日(1838年2月24日) - 昭和13年(1938年)9月7日、旧姓:吉住) 大坂住吉の社家吉住彦兵衛の次女。初世家元・サト、二世家元・アヤに師事し井上春を許される。夫は能楽シテ方観世流・六世片山九郎右衛門(晋三)。 明治5年(1872年)、35歳のとき、京都初の博覧会が催され、万亭の杉浦治郎右衛門と二人で余興として「都をどり」を企画。振付ならびに指導を担当、これまで座敷舞であった京舞を舞台にのせ、また祇園町と井上流の関係を深めて流派を興隆にみちびいた。四代目八千代、松本佐多はじめ多くの弟子をそだてている。なお「井上八千代」を名乗るのは96歳の時で、それまでは片山春子で通していた。娘・光子の婿が七世片山九郎右衛門(観世元義)で、孫に観世左近(元滋)と八世片山九郎右衛門(片山博通)がいる。博通の妻が四代目八千代である。北條秀司の戯曲『京舞』は、三代目八千代と四代目八千代を主人公としている。 昭和12年、百寿の祝賀会で創作舞を披露。最晩年まで舞にかける情熱は衰えを見せなかった。翌昭和13年の春、101歳となっても「都をどり」の采配を振るい、この年天寿を全うしている。
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