普墺戦争
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普墺戦争(ふおうせんそう、独: Deutscher Krieg)は、1866年に起こったプロイセン王国とオーストリア帝国との戦争。当初は、オーストリアを盟主とするドイツ連邦が脱退したプロイセンに宣戦するという形で開始されたが、その後ドイツ連邦内にもプロイセン側につく領邦が相次ぎ、連邦を二分しての統一主導権争いとなった。ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍がオーストリア軍に完勝し、戦争は急速に終結した。7週間戦争やプロイセン=オーストリア戦争[1]とも呼ばれる。この戦争によって、ドイツ統一はオーストリアを除外してプロイセン中心に進められることになった。
- ^ 『詳説世界史』(山川出版社。2002年4月4日 文部科学省検定済。教科書番号:81山川 世B005)p 229に「プロイセンはデンマークからうばったシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両州の処分に関して, 1866年にオーストリアとたたかってこれを破り(プロイセン=オーストリア戦争), ドイツ連邦を解体し, 翌年プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦をつくりあげた。」と記載されている。
- ^ 伊藤1940、pp171-176
- ^ 伊藤1940、pp176-178
- ^ 伊藤1940、pp178-185
- ^ 伊藤1940、pp185-187
- ^ 伊藤1940、pp188-189
- ^ 伊藤1940、pp189-191
- ^ 伊藤1940、pp191-195
- ^ 伊藤1940、pp198-201
- ^ 伊藤1940、pp199-201
- ^ 伊藤1940、pp201-203
- ^ 伊藤1940、pp203-204
- ^ 伊藤1940、pp204-205
- ^ 伊藤1940、pp205-206
- ^ 伊藤1940、pp206-207
- ^ 伊藤1940
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