一般社団法人清交社
清交社
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一般社団法人清交社(せいこうしゃ)は1923年(大正12年)に大阪で設立された社交倶楽部。
所在地
歴史
福澤諭吉が1880年(明治13年)に東京で設立した交詢社の流れをくみ、当時の毎日新聞社長・高石真五郎が仲間と共に立ち上げた大阪の社交倶楽部である。明治から大正にかけて飛躍的な発展を遂げて「東洋のマンチェスター」と称された大阪で、財界人たちが中心となり立ち上げた。
大阪市は当時、1925年(大正14年)に周辺町村を編入して人口が210万人を超え、当時の東京市を面積・人口で抜いて日本一の都市となり、「大大阪」と呼ばれた時代であった[1]。
歴代理事長
| 代数 | 氏名 | 所属 | 在任 |
|---|---|---|---|
| 初代 | 高石真五郎 | 毎日新聞社社長 | 1923年 - 1948年 |
| 第2代 | 白川朋吉 | 大阪市会議長・弁護士 | 1948年 - 1950年 |
| 第3代 | 大西耕三 | 日弁連会長 | 1950年 - 1957年 |
| 第4代 | 山本為三郎 | アサヒビール社長 | 1957年 - 1966年 |
| 第5代 | 井口竹次郎 | 大阪ガス会長 | 1966年 - 1970年 |
| 第6代 | 甘粕勇雄 | 弁護士 | 1970年 - 1972年 |
| 第7代 | 藤阪修美 | 大阪ガス相談役 | 1972年 - 1976年 |
| 第8代 | 荻野益三郎 | 大阪高裁長官 | 1976年 - 1980年 |
| 第9代 | 越後正一 | 伊藤忠商事相談役 | 1980年 - 1984年 |
| 第10代 | 坂田勝郎 | 毎日放送会長 | 1984年 - 1988年 |
| 第11代 | 久井忠雄 | 関西大学理事長 | 1988年 - 1991年 |
| 代行 | 吉本晴彦 | 大阪マルビル社長 | 1991年 - 1992年 |
| 第12代 | 村井勉 | アサヒビール会長 | 1992年 - 2008年 |
| 第13代 | 迫田太 | 毎日新聞社顧問 | 2008年 - 2013年 |
| 第14代 | 福地茂雄 | アサヒビール相談役 | 2013年 - 2018年 |
| 第15代 | 佐々木隆之 | 西日本旅客鉄道相談役 | 2018年 - 2020年 |
| 第16代 | 福地茂雄 | アサヒビール社友 | 2020年 - 2021年 |
| 第17代 | 藤洋作 | 関西電力顧問 | 2021年 - 2023年 |
| 第18代 | ⻆和夫 | 阪急阪神ホールディングス会長 | 2023年 -2025年 |
| 第19代 | 眞鍋精志 | 西日本旅客鉄道相談役 | 2025年- |
活動内容
各界の著名人による講演会やさまざまな同好会活動を通じてメンバー同士が懇親を深め、見識を高める活動を行っている。
創立以来、毎週火曜日に開催される午餐講演会には、政財界のトップをはじめ国内外の著名人を講師として招くなど、世代や業種の壁を超えて人脈を広げる活動が魅力となっている。[4]
清交社に在籍した主な著名人
自らの才覚で日本を代表する企業を育て、関西経済の発展を支えた創業者もいた。 松下電器産業(現パナソニックホールディングス)を一代で築き、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助をはじめ、制御機器大手オムロンの立石一真、スポーツ用品大手ミズノの水野利八、大手菓子メーカー江崎グリコの江崎利一らの顔が並んだ。さらに、関西電力の初代社長で黒部ダム建設に尽力した太田垣士郎、近畿日本鉄道(近鉄)の中興の祖といわれる佐伯勇、アサヒビール社長やJR西日本初代会長を務めた村井勉ら関西を代表する企業のトップや、市民派弁護士として知られ「平成の鬼平」ともよばれた元日本弁護士連合会会長の中坊公平らが在籍した。[5]
交詢社との関係
清交社は交詢社[6]とは別の独立した団体であるが、清交社の発足に際して交詢社の社員が中心となって大阪で社交倶楽部を立ち上げたことから、交詢社とは縁故の深い、いわば姉妹クラブのような位置づけとなっており、ゴルフ、囲碁、将棋の対抗試合が過去行われていた。また、交詢社の創立100周年記念式典が行われた1980年(昭和55年)1月26日には、清交社の当時理事長であった荻野益三郎から「栄光の100周年おめでとうございます、さらに21世紀にかけての飛躍発展を心から祈念いたします」との祝電が送られたことが、交詢社百年史に記述されている。[7]
参考文献
外部リンク
- 一般社団法人清交社のページへのリンク