一ノ瀬王子とは? わかりやすく解説

一ノ瀬王子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 00:23 UTC 版)

九十九王子 (田辺市・上富田町)」の記事における「一ノ瀬王子」の解説

一ノ瀬王子(いちのせおうじ)は、稲葉根王子跡の岩田神社から富田川岩田川)沿いに進み一ノ瀬橋渡った富田川左岸にある。前出の『田辺神社書上帳』によれば形の石を神体とし、本山派山伏威徳院社役勤めていたという。 史料上には、『明月記建仁元年1201年10月13日条に「一ノ瀬王子」とあるほか、寛喜元年1229年)の藤原頼資の独参記に「於石田一瀬昼養」、吉田経俊の『経俊卿記建長6年1254年2月7日条や康元2年1257年)閏3月28日条に記述見られる一ノ瀬富田川渡河点であることから、水垢離の場として重んじられ『源平盛衰記』40平維盛熊野詣記にも岩田川にて垢離をとったと記され、『熊野縁起』にも祓の場所と述べられている。その後も、足利義満の側室北野殿熊野参詣記『熊野日記応永34年1427年9月26日条に、中世熊野詣の故事にちなん垢離をとったとあるほか、文明5年1474年)の『九十九王子記』にも、その名が見られる宝暦14年1764年)の古記録興禅寺によれば近世初頭に既に廃絶しており、そもながらく不明なままであったが、紀州藩調査旧社地確定され再興された際の棟札伝えられている。前出の『田辺神社書上帳』によれば建前3尺四方表口2間・裏口1間拝殿境内奥行き4間・幅3間であったという。1907年明治40年)、対岸春日神社合祀され、以来小祠と高さ2mほどの石碑旧社地のこされている。 旧社地和歌山県指定史跡1955年昭和33年4月1日指定)。 所在地 上富田町市ノ瀬小山1592

※この「一ノ瀬王子」の解説は、「九十九王子 (田辺市・上富田町)」の解説の一部です。
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