鮎川王子
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「九十九王子 (田辺市・上富田町)」の記事における「鮎川王子」の解説
鮎川王子(あゆかわおうじ、あいかわおうじ)は、一ノ瀬王子から富田川を北上した対岸にある。前出の『田辺領神社書上帳』によれば、冠千早袴着神像を祀り、本山派山伏貴明院が社役を勤めていたという。 『明月記』建仁元年(1201年)10月13日条に「次参アイカ王子」とあり、『熊野縁起』や『九十九王子記』にも「鮎河」との記述が見られる。 1874年(明治7年)に対岸の住吉神社に合祀された際、18世紀前期に建立された本殿も移設されて今日に伝わるが、その後の道路改修により旧社地周辺の往時の面影は完全に失われた。1889年(明治22年)の水害までは、社地の前の河原に「王子田」と呼ばれる水田があり、後背の山は「王子山」「権現山」などと呼ばれたという。 旧社地には鮎川王子碑と大塔宮剣神社碑が建てられている。田辺市鮎川地区は、大塔宮護良親王が元弘の乱で敗北ののち、大塔山中に落ちのびたとする落人伝説の地であり、大塔宮剣神社の創建の由緒は大塔宮にまつわるものであると伝えられている。 鮎川王子跡は和歌山県指定史跡(1966年〈昭和41年〉12月9日指定)。 所在地 田辺市鮎川659
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