一の橋二の橋ほたるふぶきけり
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夏 |
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評 言 |
清流のほとりの静かな闇を吹雪くように舞う蛍。草の香のする小さな橋を過ぎてしばらく行くとまた小さな橋が現われる。その橋のたもとにも亡き人のたましいのように、またなつかしい恋のように、遠く近く明滅する蛍の火。 淡々とした叙景のようでありながら、橋を渡ってきたこころが、たくさんの蛍の真只中に取り残されたような、大きな「孤」を感じさせる。 「一の橋」「二の橋」とは麻布界隈にもその名が残っているが、どこかの町にもあるにちがいない、でもどこの何ということでもない一つ目の橋、二つ目の橋ともとれる。実であり虚である象徴性のある場所を背景に、「季語の現場に立つ」という作句方法によって、結果、余計なものが削ぎ落とされた措辞が平明で潔い。 大学入学と同時に山口青邨の「夏草」に入門するも、青邨の指導に従い女性の社会進出のパイオニアとしての自分の仕事に全力投球。その間も俳句に対する情熱は衰えることなく、三十歳を目前にして再デヴューした。 同時に、「自分を支えてくれるのはこの世に俳句しかない」という信仰にも似た思いから、日本の造化の根底とも言うべき桜を真正面から追求する「日本列島桜花巡礼」の行を自らに課した。 花に問へ奥千本の花に問へ 『一木一草』 師青邨の言う「職業婦人」として、要職をこなしながら、俳句においても「合理的」に「根性」をもってやりぬく。決断を下さねばならない局面の、孤独と自信を身を持って知る俳人だからこそ、作品において揺るぎのない美を断定する勇気を示すことができる。 |
評 者 |
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備 考 |
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