ヴェンカタ2世の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 14:45 UTC 版)
「ヴィジャヤナガル王国」の記事における「ヴェンカタ2世の戦い」の解説
1586年、シュリーランガ1世の死後、その弟ヴェンカタ2世がビジャープル王国、ゴールコンダ王国に奮戦したことにより、ヴィジャヤナガル王国は一時領土と勢力を回復した。1592年にはこれらに対抗するため、首都をペヌコンダからチャンドラギリに遷都している。 また、ヴェンカタ2世はオランダ、スペインなどと修好を結び、ムスリム5王国と対立していた北インドのムガル帝国とも同盟を結ぼうとし、南北から挟撃しようとする壮大な計画を立てた。 さらに、ヴェンカタ2世は内政面でも優れた統治能力を発揮して、タミル地方の反乱を掃討した。荒廃した農村の復興に尽力し、宗教的にもきわめて寛容で、人民にも愛され慕われ、ヴィジャヤナガル王国最後の名君となった。 しかし、その後再びビジャープル王国、ゴールコンダ王国に逆襲され、1604年にヴェンカタ2世は王都をチャンドラギリからヴェールールと南へと遷都した。また、1610年にはマイソール王国が独立を表明するなど、ヴィジャヤナガル王国の衰運を止めることはできなかった。
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