ヴィーゼンタールに突き止められる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 06:22 UTC 版)
「カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー」の記事における「ヴィーゼンタールに突き止められる」の解説
1958年10月、リンツの劇場で『アンネの日記』が上演されている時にネオナチの高校生たちが劇場の中で大声を出しながら暴れ回り、「この芝居はイカサマだ。アンネ・フランクなど実在しない。一から十まで作り話で、ユダヤ人が賠償金を釣り上げるために考え出したものだ。」というビラを二階のバルコニー席からまいて、演劇を妨害する事件があった。「ナチ・ハンター」と呼ばれたホロコースト生き残りユダヤ人サイモン・ヴィーゼンタールはこれに怒り、ネオナチ青年たちと対話を行い、アンネの実在をめぐる論争の中で「アンネ・フランクを逮捕した者を見つける」と宣言するに至った。 しかしアンネ・フランクの父親オットー・フランクは復讐を望んでおらず、また「ジルバーバウアー」などというオーストリアによくある姓を公表したら別の誰かが間違われて風評被害を受ける可能性があると考え、アンネの逮捕者について「ジルバーターラー」とか「ジルバーナーゲル」とか偽名表記で広めた。そのためヴィーゼンタールの調査は困難を極めたが、1963年10月に至ってついにウィーン警察のジルバーバウアーが該当する人物であると突き止めた。 同月ジルバーバウアーの警官の職は停止され、彼の裁判が開始された。しかし証拠不十分やオットー・フランクの証言「ジルバーバウアーは上司の命令に従ったにすぎず、手入れの際も不法な行動はとらなかった」などにより、1964年6月に訴訟が打ち切られた。当時のウィーン警察本部長は異議申し立てを行ったが、懲罰委員会はジルバーバウアーの停職処分の解除を決定した。
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