ロールス社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 15:38 UTC 版)
チャールズ・スチュアート・ロールズは、上流階級の家に生まれたスポーツマンで、ケンブリッジ大学在学中から黎明期のモータースポーツに携わった自動車の先覚者であった。学生時代には自動車速度制限法として悪名高かった赤旗法廃止に力を尽くし、イギリスの王立自動車クラブ (RAC) の前身である「イギリス自動車クラブ」の設立にも寄与した。 詳細は「チャールズ・ロールズ」を参照 大学卒業後の1902年、親友でRAC幹部でもあったクロード・ジョンソンを右腕に、ヨーロッパ車の輸入代理店C・S・ロールズ (C. S. Rolls & Co.) を設立して自動車の輸入ビジネスを営み、フランス製のパナールとモール、後にはベルギー製のミネルヴァを扱った。 1900年前後のイギリス車は、フランスやドイツに比して技術的に遅れていた。見るべきものとしてはフレデリック・ランチェスターが開発した先進的な小型車「ランチェスター」が存在したが、これは設計が複雑で、広く普及するだけの普遍性を欠いていた。 当時のイギリスの自動車市場をリードしたのはフランス車であった。チャールズ・ロールズも大型のフランス車に乗ってレースに出場しており、1903年にダブリンで93mph(約149km/h)の世界速度記録を達成した車は、自ら輸入したモールであった。チャールズ・ロールズとクロード・ジョンソンは、イギリス人として、欧州大陸の水準に比肩しうるイギリス車が存在しないことを常々残念に思っていた。
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