ロブ=グリエとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 21:50 UTC 版)
「ジャン・リカルドゥー」の記事における「ロブ=グリエとの出会い」の解説
1955年にアラン・ロブ=グリエのヌーヴォー・ロマンの作品『覗くひと』に出会ったことが重要な転機となった。『覗くひと』はロブ=グリエの第3作だが、1949年に執筆された処女作『弑逆者』はある大手出版社に拒否され、1953年の『クリティック (批判)』誌(1946年にジョルジュ・バタイユが創刊、深夜叢書刊)にサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』の書評を掲載したのを機に、1953年に深夜叢書からヌーヴォー・ロマンの先駆けとされる処女作『消しゴム』を発表。ロラン・バルトに絶賛され、翌1954年末から深夜叢書の文芸顧問を務めていた。以後、クロード・シモンの『風』(1957年)以降の作品、ミシェル・ビュトールの処女作『ミラノ通り』(1954年)から『時間割』(1956年)、『心変わり』(1957年)がすべて深夜叢書から刊行されることになるが、リカルドゥーが『覗くひと』に興味を持ったのは、「理解不能」と書かれたほんの10行ほどの書評を読んだときであった。リカルドゥーはこれを機に、深夜叢書刊行のシモン、ビュトールらの小説を読み、1958年にロブ=グリエに手紙を書いて会う機会を得た。
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