ロッテ・ダイエー時代
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1996年は定詰雅彦から正捕手の座を奪って95試合に出場するが、同年のシーズンオフにFA権を行使して福岡ダイエーホークスへ移籍。ロッテ球団初のFA移籍選手となった。既に一線で活躍する選手としての能力は衰えていたが、「城島健司に手本を見せてやってくれ」という、ダイエーの一軍バッテリーコーチに就任していた若菜の懇願で移籍。 1997年は城島の指導役として貢献し、城島も「田村さんからは実戦で学ぶことが多かった」と述べている。試合終盤のリリーフ捕手的な役割を中心に22試合に出場した。 1998年は一軍出場がなく、同シーズン限りで現役を引退。 当時のパ・リーグには球界を代表する捕手だった伊東の存在があったため、ベストナインやゴールデングラブ賞といったタイトル獲得はかなり少なかった。オールスターの選出に関しては捕手枠が2 - 3名のため、毎年おおむね田村、伊東で決まり、中嶋聡(オリックス)ら他チームの捕手の出番は少なかった。 日本ハム時代に同僚であった大島康徳は田村を「キャッチャーとしての技術は超一流でした」と評価している。武田一浩は「本当に上手い捕手」として田村を挙げている。
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