ロスアラモス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 18:18 UTC 版)
「オットー・ロベルト・フリッシュ」の記事における「ロスアラモス時代」の解説
1944年のロスアラモスにおいて、フリッシュのグループリーダーとしての任務の一つは、臨界量を作り出すのに必要な濃縮ウランの量を正確に見積もることであった。 フリッシュは3 cmの濃縮ウランのブロックを一度に数ダース積み重ね、中性子の動きを観測し、それが臨界量に達するのを見ることによって、この任務を成し遂げた。金属ブロックの中の中性子は核反応が加速した時に上昇した。この実験は、失敗すると非常に多くの金属ブロックが溶けて核反応の暴走を引き起こし、中性子の放射線の近くにいる者はみな死んでしまうであろうと考えられていた。そのため、ロスアラモスで評議員をしていたリチャード・ファインマンをして、これは眠っている竜の尻尾をくすぐるようなものだと言わしめたため、「ドラゴン実験」と命名された。 ある日、フリッシュは核分裂を引き起こす集合体によりかかっていたため、もう少しで核反応の暴走を引き起こすところだった。中性子が自らの体で反射して集合体に戻されるという現象が起きていたためである。視界の隅で彼は中性子を感知するライトが点灯したままになっているのを見て、装置に何が起こっているか気付いた。フリッシュはすぐにブロックを取り除くことによって大事には至らなかった。あと2秒対処が遅れていたら、致命的な量の放射線を浴びるところであった。このような実験の結果、フリッシュらは、広島に落とされることになるリトルボーイに必要なウランの量を決定した。
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