ロサンゼルス郡立美術館との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 07:21 UTC 版)
「ジョー・プライス」の記事における「ロサンゼルス郡立美術館との関係」の解説
かねてより自ら所蔵する作品を世に広めたいと願っていた夫婦は、大学か美術館にコレクションを寄贈し、自らの意向に沿う専用の展示館を建設することを考えた。ハーバード大学、スタンフォード大学、プリンストン大学、サンディエゴ三景園 (en:Japanese Friendship Garden (Balboa Park)) などを当たり、最終的にロサンゼルス・カウンティ美術館 (ロサンゼルス郡立美術館、en:Los Angeles County Museum of Art) から肯定的回答を得た。 1988年、自己資金500万ドル、日本企業からの寄付400万ドル、篤志家からの寄付400万ドルの計1300万ドルの建設費をかけて日本館 (en:Pavilion for Japanese Art) を新設させた。設計は、1982年ゴフが死去したため、弟子のバート・プリンス (Bart Prince) が引き継いだ。当初はコレクション約600点を寄託して研究施設も併設する予定だったが、郡立美術館からコレクションを手荒に扱われたり、運営からプライス夫妻を締め出すような動きが見られたり、妻への人種偏見的な噂話をたてられたことから、約400点を自己管理のもとに引き揚げた上で約200点だけを施設維持のために日本館に残し、自宅に研究施設を設置した。
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