レブロンの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 14:23 UTC 版)
「クリーブランド・キャバリアーズ」の記事における「レブロンの時代」の解説
しかしキャブスはこの成績によりドラフト1位指名権を獲得、レブロン・ジェームズを指名した。ジェームズはルーキーシーズンから好成績を残し、新人王を受賞した。2004-05シーズンには一時期プレーオフ争いの東カンファレンス5位につけていたが終盤チームは失速。8位争いをしていたニュージャージー・ネッツと勝利数で並んだが、惜しくもプレーオフ進出を逃した。 2005-06シーズンには、1997-98シーズン以来のプレーオフ進出を東カンファレンス4位で果たし、1回戦ではワシントン・ウィザーズと対戦した。第5戦、第6戦はオーバータイムにもつれこむ接戦だったが、この2試合とも勝利して4-2でプレーオフ2回戦へと進出した。デトロイト・ピストンズ(この年ホームではわずか3敗しかしていない)と対戦し、1、2戦を落とした後、敵地の第5戦を含む3、4、5戦を勝利したが、地元での第6戦、そして第7戦を落として敗れた。この第7戦でキャブスは不名誉な記録2つを記録した。1つはプレーオフ第7戦での最少得点記録(61)、もう1つは試合後半得点23である。 2006-07シーズンは、前年に続いてプレーオフ進出を果たした。シーズン最終盤までもつれたシカゴ・ブルズとの第2シード争いに競り勝ち、1回戦は第7シードのワシントン・ウィザーズに4-0で勝利(キャブスでは今までプレイオフでスウィープ勝ちはなかったが、今回で初めてとなった)、カンファレンス準決勝では4-2で第6シードニュージャージー・ネッツに勝利した。下位シードとの2回戦を勝ち抜いて対戦した東カンファレンス1位のデトロイト・ピストンズとのカンファレンス決勝では、初戦、第2戦と敵地デトロイトでの対戦で敗れたものの、ホームに戻っての第3・4戦を連勝し対戦成績をタイに戻した後は、敵地での第5戦に2回の延長の末、勝利して3連勝でホームコート・アドバンテージを奪った。第6戦はホームのアリーナでデトロイト・ピストンズを98-82で破り、4-2で初めてのNBAファイナル進出を達成したが、サンアントニオ・スパーズと対戦し、レブロンがブルース・ボウエンの執拗なディフェンスに自由にプレーを展開できない中、トニー・パーカーのハイスピードなオフェンスを守りきれず、あっけなくスイープを喫し、シーズンを終えた。 2007-08シーズンのトレードデッドラインなんと1分前で、ドリュー・グッデン、ラリー・ヒューズらと、ディフェンスの名手ベン・ウォレス、シュート力のあるデロンテ・ウェスト、ウォーリー・ザービアック、ベテランのジョー・スミスとのトレードをシカゴ・ブルズとシアトル・スーパーソニックスとの三角トレードで合意した。だが、プレーオフはカンファレンスセミファイナルで、ポール・ピアース、レイ・アレン、ケビン・ガーネットのビッグスリーを擁するボストン・セルティックスに、7戦まで縺れる激戦の末、3-4で敗れた。 2008-09シーズンはミルウォーキー・バックスから獲得したモーリス・ウィリアムスの活躍もあり、得点力の向上とオフェンス面においてレブロンの負担を減らす事に成功し、フランチャイズ初のレギュラーシーズンカンファレンス1位の成績でプレーオフ進出を果たし、レブロンは初のシーズンMVPを受賞した。しかし、カンファレンスファイナルでドワイト・ハワード率いるオーランド・マジックに2-4で屈した。 2009-10シーズンは、フェニックス・サンズからシャキール・オニールを獲得するなどして体勢を強化し、2年連続でカンファレンス1位でレギュラーシーズンを終え、レブロンも2年連続でシーズンMVPを受賞した。しかし、カンファレンスセミファイナルでボストン・セルティックスに2-4で敗れ、レブロンはキャブスを去った。
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