レイサム兄弟のボクシング映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 22:02 UTC 版)
「キネトスコープ」の記事における「レイサム兄弟のボクシング映画」の解説
1894年夏にグレイ・レイサムとオトウェイ・レイサムの兄弟は、同級生のイノック・J・レクター(英語版)とサミュエル・J・ティルデンとともにキネトスコープ公開会社(Kinetoscope Exhibition Company)を設立し、エジソン社の認可を受けてボクシングの映画をキネトスコープで上映した。従来のキネトスコープは約50フィートの長さのフィルムしか入らず、毎秒40フレームで上映時間が20秒しかなかったため、長いボクシングの試合を上映することができなかった。そのためレクターの要請により、研究所は150フィートのフィルムが入る大容量のキネトスコープを製造し、上映時間を1分近くにまで増やすことに成功した。6月14日、ブラック・マリアでマイケル・レナード対ジャック・カッシングのボクシング試合を6ラウンド分撮影したが、1ラウンドの時間はフィルムの最大容量に相当する1分間に短縮され、試合はあらかじめ成り行きが決められていた。 8月、レイサム兄弟はニューヨークのナッソー・ストリート83番地にボクシング映画専門のキネトスコープ・パーラーを開店し、店内に6台の大容量のキネトスコープを設置してレナード対カッシングの試合を上映した。1台のキネトスコープで1ラウンドの試合を見ることができたが、そのために10セントを支払う必要があり、全試合を見るには60セントも支払わなければならなかった。それでもアメリカ人のボクシング熱が高いこともあり映画は成功を収め、行列を整理するために警察を呼ばなければならないほどだった。続いてレイサム兄弟はヘビー級王者のジェームス・J・コーベットと契約を結び、9月7日にブラック・マリアでコーベット対ピーター・コートニーの試合を6ラウンド分撮影した。試合は第6ラウンドでコーベットがノックアウトするように取り決められ、コーベットには5000ドルのギャラが支払われた。
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