リード追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)
フンボルト川沿いで一行はパイウート族(英語版)に遭遇して数日同行したが、その間に牡牛と馬を何頭か盗まれたり殺されたりした。すでに10月に入ってだいぶ過ぎており、ドナー家が先を急いで先行していたところ、残った集団で2台の馬車がもつれる事故が起き、怒ったジョン・スナイダーがリード家の御者ミルト・エリオットの牡牛を殴った。リードが止めに入ると、スナイダーはリードを鞭で打ちつけた。リードは反撃し、スナイダーの鎖骨の下をナイフで刺して殺した。 その晩、目撃者が集まって事後を相談した。大陸分水嶺の西(当時はメキシコ領)では米国の法律は適用されず、幌馬車隊が私的に事件を裁くことはよくあった。しかし隊長のジョージ・ドナーは家族とともに本隊から丸1日分先行している。スナイダーがジェイムス・リードを打つ場面は目撃されており、マーグレット・リードのことも打ったとする証言もあったが、スナイダーには人望があった一方でリードにはなかった。キースバーグはリードを絞首刑にすべきだと述べたが、評決としてはリード個人を追放し、残される家族の面倒は周りで見ることとした。リードは翌朝丸腰で隊を離れたが、娘のヴァージニアが馬で先回りして密かにライフル銃と食料を渡した。
※この「リード追放」の解説は、「ドナー隊」の解説の一部です。
「リード追放」を含む「ドナー隊」の記事については、「ドナー隊」の概要を参照ください。
- リード追放のページへのリンク