リヴィエラ・デイ・フィオーリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 06:01 UTC 版)
「インペリア県」の記事における「リヴィエラ・デイ・フィオーリ」の解説
「リグーリア海岸」も参照 リグーリア海岸沿いのサンレーモ、ボルディゲーラ、オスペダレッティなどは、19世紀にいち早くリゾート地として発展し、海岸避寒地「リヴィエラ」(イタリア語で「海岸」の意)として知られることになった。のちに隣接するフランス側の海岸(コート・ダジュール)が発展して「フレンチ・リヴィエラ」と呼ばれるようになり、これに対してイタリア側を「イタリアン・リヴィエラ」と呼ぶようになった。 19世紀、これらの海岸リゾート地はヨーロッパの富裕層の人気を集めるようになった。特にイギリス人はこの地域の観光業発展の基礎を築いたと主張しており、ヴィクトリア女王もこの地に滞在したとされる。イギリス人には、20世紀半ばにスペインがより注目を集めるまで、ポピュラーなリゾート地であった。冬の温暖な気候を好んだロシア人貴族もこの地を愛し、リヴィエラには在住イギリス人・ロシア人の大きなコミュニティがあった。 この海岸に暮らした著名人としては、ボルディゲーラに暮らしたマルゲリータ王妃、サンレーモで没したアルフレッド・ノーベル、ロシアのマリア・アレクサンドロヴナ皇后などがいる。チャイコフスキーはオペラ「エフゲニー・オネーギン」をサンレーモで書き上げ、クロード・モネはボルディゲーラ近郊を描いた。スイス出身の著名な道化師(クラウン)グロック (Grock) もインペリアで生涯を閉じている。 往時の華やかなコミュニティの名残りは、ハンベリー卿が作った亜熱帯植物園で知られるフランス国境近くの Villa Hanbury (Giardini Botanici Hanbury) 、サンレーモやインペリアにあるロシア正教会の聖堂に見られる。 今日、「イタリアン・リヴィエラ」という言葉はリグリア州全体の海岸を指すようになり、東はラ・スペツィアまで含むようになった。このため、インペリア県域の海岸を指す言葉としては「リヴィエラ・デイ・フィオーリ」(Riviera dei Fiori、「花の海岸」の意)が用いられる。この名称はこの地域のエキゾチックな花々や、盛んな花卉産業から採られている。 サンレモの観光ポスター(1920年頃) ハンベリー植物園 サンレモのロシア教会
※この「リヴィエラ・デイ・フィオーリ」の解説は、「インペリア県」の解説の一部です。
「リヴィエラ・デイ・フィオーリ」を含む「インペリア県」の記事については、「インペリア県」の概要を参照ください。
- リヴィエラ・デイ・フィオーリのページへのリンク