リチャード1世とサラーフッディーンの休戦協定とは? わかりやすく解説

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リチャード1世とサラーフッディーンの休戦協定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 02:18 UTC 版)

第3回十字軍」の記事における「リチャード1世とサラーフッディーンの休戦協定」の解説

8月20日リチャードアッコン降伏時の協定サラーフッディーン遵守していないとして拘留されていたムスリム2700人あまりを処刑したリチャードエルサレム攻撃するための出発地として港町ヤッファヤッフォ)の奪取計画した9月にアルスフを行軍していた彼らをサラーフッディーン攻撃したが、リチャードはこの戦いで目覚しい勝利を挙げたアルスフの戦い)。1192年1月にはエルサレムへの進撃準備整ったが、サラーフッディーン軍勢増強し都市要塞化して待ち構えていた。リチャードは2回ほどエルサレム接近したが、サラーフッディーン大軍目の当たりにして軍を退いた7月に入るとサラーフッディーンヤッファ奪還動き出すも、7月31日戦闘で数では勝っていたはずにもかかわらずリチャードの軍に敗れ失敗したリチャード軍勢疲弊しいつまでたってもエルサレム落とせないことに対する不満や国へ帰りたいという不満が軍の中に渦巻いていた。また、一足先に帰国したフィリップ2世末弟ジョン扇動し英国領を侵略しているという情報入っていた。一方サラーフッディーンも、自身年齢からくる健康不安や、ムスリム内部不満分子懸念し戦い長引かせることを望まなかった。 リチャードサラーフッディーン戦闘同時に1年以上渡って交渉重ね1192年9月2日アッコン含みティールからヤッファに至る沿岸部いくつかの港をエルサレム王国管理下に置き、エルサレムイスラム教徒統治下に置くという最終的な休戦協定結んだ。また但し書きとして非武装キリスト教徒巡礼者エルサレム訪れることを許可するという条件加えられた。9月末、リチャードイングランド向けて出発し第3回十字軍終了した

※この「リチャード1世とサラーフッディーンの休戦協定」の解説は、「第3回十字軍」の解説の一部です。
「リチャード1世とサラーフッディーンの休戦協定」を含む「第3回十字軍」の記事については、「第3回十字軍」の概要を参照ください。

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