リアマンスの退任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 01:45 UTC 版)
「ノース・ブリティッシュ鉄道」の記事における「リアマンスの退任」の解説
ノース・ブリティッシュ鉄道の会長はジョン・リアマンスであった。初期から彼は、ノース・ブリティッシュ鉄道の拡大こそが前進であると考えており、他の取締役と連携して個人的にも会社を通じても他の鉄道に対して大規模に投資をおこなっていた。場合によってはこれは鉄道網を利益を上げられるように拡大するためのものであったが、多くの場合には競合相手、特にカレドニアン鉄道を単に締め出すためのものであった。しばらくの間は株主はリアマンスに同調していたが、投資の規模が開示されるにしたがい、次第に不安が広がるようになった。1851年には、ノース・ブリティッシュ鉄道の額面25ポンドの株式は6ポンド(2019年の価値にして662ポンド相当)で取引されていた。1851年の株主総会において、会社の鉄道網が89マイル(約142.4キロメートル)であったときには収入が39,304ポンドであったのに、鉄道網が146マイル(約233.6キロメートル)になった今でも収入は39,967ポンド(2019年の価値にして4,408,282ポンド)であると指摘された。巨額の資金が失敗した事業で償却され、一方で同様に巨額の費用が新たな事業に投じられようとしていた。株主の中には、ジョージ・ハドソンが8パーセント上乗せで会社を買収すると1847年に提案していたが、拒絶したことを思い出す者もいた。カレドニアン鉄道も同様に鉄道網を拡大しようとしていたが、小規模の鉄道会社を借り受けることによって実現しており、初期に巨額の支払いが発生することを回避していたということは注目に値する。 1852年初めに、新たな優先株の発行に失敗し、3月の株主総会において取締役2名が辞任し、リアマンスも適当な時期に辞任すると宣言せざるを得なくなった。持ちこたえることができる状況ではなく、1852年5月13日にリアマンスも辞任した。ジェームズ・バルフォア(英語版)が後任となったが、バルフォアはこの任に適しておらず、またノース・ブリティッシュ鉄道の今後にほとんど影響力を持っていなかった。彼もまた退任し、1855年にリチャード・ホジソン(英語版)が後を継いだ。彼の仕事は厄介なもので、ある時期には普通株に対して配当が支払われなかった。 1856年9月までには、ホジソンは取締役会の反対派閥を追い出し、営業経費率は44パーセントまで下がった。1856年7月15日の臨時株主総会において、会社の財務案が通過し、会社は株式の新規発行と、それによって得られた資金で負債を返済できると発表した。また彼は、いくらか時期尚早ではあったが、会社は債務なしになったと発表した。普通株への配当は2.5パーセントとなった。
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