ラムサーズミルの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/21 03:55 UTC 版)
「グリフィス・ラザフォード」の記事における「ラムサーズミルの戦い」の解説
シャーロットで兵士を集めた後、ラザフォードはロイヤリストが現在のリンカーントンの近く、ラムサーズミルで武装して集まっているという情報を得て、土地の役人達にそれらが大きな脅威にならない内に解散させるよう命令を出した。ローワン郡とメクレンバーグ郡からの兵士を集めた後、それらの兵士をカトーバ川まで移動させ、6月19日にタッカシギー浅瀬で川を渉った。ローワン郡のフランシス・ロック大佐にはラムサーズミルから約16マイル (26 km) のカトーバ川の支流近くで落ち合うよう伝言を送った。ロックは400名の部隊を集め、マウンテン・クリークで宿営しており、そこはラサフォードのいた位置から35マイル (56 km) 離れていたが、ラムサーズミルまでの距離は、ラザフォード隊とほぼ同じくらいだった。ロックとその士官達は、ロイヤリストが勢力を得て十分戦えるようになるまでに、ラザフォード隊と合流するのは2つの隊の間の距離と限られた時間を考えれば現実的ではないと判断した。よってロック隊は即座にロイヤリストの陣地を攻撃することにした。ロックの部下の一人、ジョンソン大佐がラザフォードに午後10時までに新しい状況を知らせてきた。 ロック隊は6月19日午後遅くに宿営地を離れ、6月20日早朝にロイヤリストの陣地に到着した。愛国者隊はロイヤリストを急襲した。ロイヤリストは当初当惑し混乱していたが、ロックの騎兵隊に発砲して反撃し、騎兵隊は後退を強いられた。愛国者隊は最後はロイヤリストをその宿営地まで後退させたが、ミルのある小川の対岸に再集結しているのが分かった。この時点でロイヤリストから即座の攻撃が予測されたので、ラムサーズミルから6マイル (9.6 km) まで来ていたラザフォードに、直ぐに前進するよう伝言が送られた。ラザフォードはラムサーズミルから2マイル (3.2 km) でロック隊に会し、そこでロイヤリストが総退却に移ったことを知らされた。
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