ラグビーに打ち込んだ学生時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:20 UTC 版)
「高橋光臣」の記事における「ラグビーに打ち込んだ学生時代」の解説
中学時代はバンド「シャ乱Q」のファンで、サクソフォンを吹きたくて吹奏楽部に入部した。しかし中学2年生の頃にラグビー部が創設されると、高橋の運動神経の良さを知る顧問教諭から誘われたことで転部を決め、ラグビーを始めることになった。志望する高校を決める際、自身の名前と同じ“光”の字が入っていることから縁を感じた啓光学園を選んだ。 ポジションは高校まではバックスのスクラムハーフとセンター(CTB)、大学の途中からフォワードのフランカー。 高校時代のラグビー部の練習について「想像していた以上に、練習が死ぬほど苦しくて嫌で嫌で仕方なかった」とのこと。高校3年時に啓光学園は花園に出場、自身はリザーブとして予選には出場しているが、その後の怪我のため花園出場は果たしていない。大学には当初一般入試での受験を決意したが全敗に終わり、ラグビーでの推薦入試を受けて合格し、東洋大学への進学が決まった。 大学でもラグビー部に入部したが、当時を「高校時代に比べて打ち込めていなかった。中途半端なラガーマンだった」と述べている。その後「ラグビーでは一流になれない」と思ったこと、ラグビーの試合中の事故で後輩が亡くなったことが役者を目指すきっかけであった。自分の将来を考えていた頃に映画『ラストサムライ』を観た所、渡辺謙の演技に鳥肌が立つほど感動したことから役者になることを決意した。
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