ラガシュ・ウンマ戦争
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ラガシュ第1王朝とウンマは100年にわたり国境を巡ってラガシュ・ウンマ戦争(フランス語版)を起こしていた。この戦争に関して当時のラガシュ王たちがさまざまな碑文を残しており、現存する歴史文書の中では最古級に属する。それによれば、最初はキシュ王メシリム(メスアンネパダ?)の仲介によってラガシュとウンマの間の国境を定め、それを示す石碑が建てられた。しかしウンマが国境を侵し、石碑を移動させたのでエアンナトゥム王はウンマと戦い石碑を元の位置に戻したという。その後エンメテナ王に至るまで3代にわたってたびたびウンマと戦ったと記録されている。後にウンマとラガシュは和平協定を結ぶが、これは史上最初の国際条約といわれている。
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ラガシュ・ウンマ戦争
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「エアンナトゥム」の記事における「ラガシュ・ウンマ戦争」の解説
詳細は「ラガシュ・ウンマ戦争(フランス語版)」を参照 取り分けウンマとはこの王の治世より長期にわたる戦争を繰り広げることになる。ウンマとはかつてキシュ王メシリム(メスアンネパダ?)の仲介で国境が定められ、国境を示す境界石が置かれていたが、ウンマ王ウシュ(ロシア語版)が境界石を破壊して侵略してきたためにこれを撃退したとラガシュの史料は伝える。ラガシュ市とウンマ市の間にはグ・エディン・ナ(シュメール語: GU.EDEN.NA。「平野の境界」の意)と呼ばれる肥沃な平野が広がっており、この平野の帰属を巡るトラブルから戦争が発生したと考えられる。 ウシュ王の侵攻に端を発する戦いは長期に渡ったが、エアンナトゥムはこれを撃退し、ウンマの次の王エナカリ(ロシア語版)(エンアカルレ)は国境線を元の場所に戻し、境界石を再び置く事に同意して和平を結んだという。 この戦争に関しては敵対者であるウンマ側の記録が発見されておらず、ラガシュの記録がどの程度真実を伝えているのか検証は困難である。だが、エアンナトゥムはキシュ王(この称号についてはキシュの項目を参照)を称するほどの勢力を誇った王であり、実際に数多くの戦争を戦って勝利を収めたと考えられる。
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