ライブ・メドレー「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」
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「地の果てまでも」の記事における「ライブ・メドレー「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」」の解説
1972年にリリースされたコンサート・アルバム『フォーラム劇場のバーブラ・ストライサンド(英語版)』は、1972年4月15日にザ・フォーラム(カリフォルニア州イングルウッド)で行われたストライサンドのマクガバン候補応援コンサートの録音で、「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」と題されたメドレーで「地の果てまでも」が取り上げられており、ストライサンドのフォーラムでのコンサートでは、「地の果てまでも」と「スウィート・インスピレーション(英語版)」を同時に演奏したが、後者はダン・ペン(英語版)/ スプーナー・オールダム(英語版)によってザ・スウィート・インスピレーションズ(英語版)のために書かれた曲で、1967年に初めてレコーディングされ、1968年春にはビルボード・ホット100で18位を記録するトップ20ヒットとなった曲だった。 ストライサンドは1971年12月24日から1972年1月14日までラスベガスのインターナショナル・ホテルで行われたコンサートで「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」のメドレーを初演したが、この曲は1970年1月からエルヴィス・プレスリーのバンド・リーダーを7年間務め、プレスリーのコンサートのコーラスやオープニングアクトを担当したザ・スウィート・インスピレーションズと密接に仕事をしていて「スウィート・インスピレーション」という曲を特に意識していたホテルのミュージカル・ディレクター、ジョー・ゲルシオによるアレンジだった。 「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」は演奏時間が6分間あることからシングル・リリースには不向きな選択だったが、1972年5月25日に『フォーラム劇場のバーブラ・ストライサンド』からの先行シングルとしてリリースされた(アルバムは1972年10月にリリースされる)。ストライサンドのスタジオ録音の「地の果てまでも」は彼女の最後の2枚目のシングルとしてリリースされており、どちらのシングルも注目度は高くなかったが、「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」は『バーブラ・ジョーン・ストライサンド』からの「地の果てまでも」のチャートでのインパクトに近いもので、「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」はトップ40の37位でピークを迎えた。 ストライサンドはエルスツリー・スタジオ(英語版)で1973年の夏に収録され、同年11月2日に放送されたテレビ特番のBarbra Streisand...and Other Musical Instruments でレイ・チャールズのピアノと、レイレッツ(英語版)のコーラスをバックに『フォーラム劇場のバーブラ・ストライサンド』からのシングルの半分ほどに短縮したメドレーを歌った。 1979年のコンピレーション・アルバム『バーブラ・ストライサンド・グレ―テスト・ヒット VOL.2(英語版)』には「スウィート・インスピレーション/ 地の果てまでも」が収録されているが、ストライサンドのスタジオ・バージョンの「地の果てまでも」は同時期のトップ40ヒット曲の中で唯一除外されている。
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