ライバルの出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/30 03:22 UTC 版)
「タイムライン (競走馬)」の記事における「ライバルの出現」の解説
タイムラインはその後、引退するまで遠征することはなく、兵庫(園田・姫路)で出走し続けた。前年の六甲盃から破竹の7連勝を達成したほか、68キログラムという負担重量を背負わされた摂津盃でも勝ち、同競走の連覇を達成。当時「アラブのメッカ」と称され、絶大なる人気を誇っていた園田・姫路競馬の看板馬であった。 ところが、1歳年下のスマノダイドウが九州の佐賀競馬場からやってきて(一時的に大井に移籍し、アラブダービーを制覇)、1973年の秋には力をつけてきた。 当時、タイムラインは酷ともいうべき負担重量に泣かされ、取りこぼすケースが目立ってきたが、それでも兵庫では実力上位だった。そのタイムラインを脅かそうとしていたのがスマノダイドウであり、両馬は1974年1月30日に初対決を迎える。しかし、この対決が園田事件(後述)に繋がった。
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