ヨハン・フォン・ルクセンブルクとは? わかりやすく解説

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ヨハン・フォン・ルクセンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 23:17 UTC 版)

ヨハン・フォン・ルクセンブルクJohann von Luxemburg, 1296年8月10日 - 1346年8月26日[1])は、ルクセンブルク家ボヘミア国王(在位:1310年 - 1346年)およびルクセンブルク伯(在位:1313年 - 1346年)。父はローマ皇帝ハインリヒ7世、母はブラバント公ジャン1世の娘マルガレータ。息子に皇帝カール4世がいる。父と息子は皇帝に即位したものの、自身は帝位を得ることはなかった。後に病によって失明したため、ヨハン盲目王Johann der Blinde)と呼ばれる。フランス語名でジャン・ド・リュクサンブールJean de Luxembourg)と呼ばれることもある(この名で呼ばれる人物は複数存在するので注意)。チェコ語名はヤンJan Lucemburský)であるが、日本語文献で用いられることは稀である。




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