ヤーノシュ1世とは? わかりやすく解説

サポヤイ・ヤーノシュ

(ヤーノシュ1世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 23:20 UTC 版)

ヤーノシュ1世
I. János
ハンガリー国王
(対立王)
在位 1526年 - 1540年

出生 1487年2月2日
スピシュスキー城
死去 (1540-07-22) 1540年7月22日(53歳没)
セベシュ
配偶者 イザベラ・ヤギェロンカ
子女 ヤーノシュ・ジグモンド
家名 サポヤイ家
父親 サポヤイ・イシュトヴァーン
母親 ヤドヴィガ・チェシンスカ
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サポヤイ・ヤーノシュハンガリー語: Szapolyai János, Zápolya János, クロアチア語: Ivan Zapolja, スロバキア語: Ján Zápoľský, 1487年2月2日 - 1540年7月22日)は、ハンガリー王国対立王。即位以前はトランシルヴァニア領主であった。父はサポヤイ・イシュトヴァーン、母はチェシン公国の統治者プシェミスワフ2世の娘ヤドヴィガ

生涯

1487年、スピシュスキー城で生まれた。サポヤイ家(Zápolya)はザポリェ(Zapolje)を発祥地とし、トランシルヴァニアを基盤とする豪族で、サポヤイは1514年に起きたドージャ・ジェルジDózsa György)率いる農民反乱を鎮圧し、首謀者であるドージャを残酷に処刑した。

1526年モハーチの戦いラヨシュ2世が大勢の兵と共に戦死した後、空位となったハンガリー王に立候補した。ラヨシュ2世の姉アンナを妃とするハプスブルク家フェルディナント大公も立候補し対立した。サポヤイはハンガリー貴族のうちでもリーダーシップがあり、過去20年間政治的な経験があった(また、彼の政敵は多くがモハーチの戦いで戦死していた)。貴族の大多数はサポヤイに付き、わずかな貴族がフェルディナントに付いたにすぎなかった。11月にセーケシュフェヘールヴァールで即位、ヤーノシュ1世と称したが、オスマン帝国スルタンスレイマン1世の後ろ盾がなければフェルディナントに対抗し得ないと考えたが、それが仇となってヨーロッパ諸国から王として承認されなかった。

1540年、セベシュ(現在のルーマニアアラド県の都市)で死去した。死後、ハンガリー王国領の大部分が1541年オスマン帝国領ハンガリーとしてオスマン帝国に臣従する事となる。

1539年、妹バルバラの夫だったポーランド王ジグムント1世と、その再婚相手ボナ・スフォルツァとの間に生まれた娘イザベラと結婚した。翌年には一人息子ヤーノシュ・ジグモンドが生まれたが、サポヤイ自身はその2週間後に死んだ。夫の死後、未亡人となったイザベラは息子を擁してハンガリー王位の獲得に奔走し、1556年から1559年に死ぬまでハンガリー女王を称した。

脚註

参考文献

関連項目


ヤーノシュ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 14:00 UTC 版)

東ハンガリー王国」の記事における「ヤーノシュ1世」の解説

1526年モハーチの戦いハンガリー王ラヨシュ2世オスマン帝国敗れて戦死しヤゲロー朝断絶した。しかしオスマン軍ハンガリー全土掌握することなく撤退しハンガリー王位をめぐる争い勃発した神聖ローマ皇帝カール5世の弟でオーストリア大公だったフェルディナーンド1世は、ラヨシュ2世の姉アンナ・ヤギエロ結婚していたことからハンガリー王位を請求したが、ほとんどのハンガリー貴族がこれに反発した選挙王制採用するハンガリーにおいて、国内最大大領主でトランシルヴァニアヴォイヴォダだったサポヤイ・ヤーノシュハンガリー王選出されヤーノシュ1世となった1628年、フェルディナーンド1世は東ハンガリー侵攻し、ヤーノシュ1世を一旦は追い払った。これに対抗するためヤーノシュ1世はオスマン帝国スレイマン1世同盟を結び、1529年ウィーン包囲に至るオスマン軍オーストリア遠征引き起こした。 ヤーノシュ1世はトランシルヴァニアハンガリー平原東部確保した一方フェルディナーンド1世クロアチアハンガリー平原西部、フェルヴィデーク(上ハンガリー)を手中に収めた。 1538年ナジヴァーラド条約で両勢力勢力圏画定された。またヤーノシュ1世に子がいなかったためフェルディナーンド1世その後継者となることが決められ将来的東西ハンガリーハプスブルク家の元で統一されるはずであった

※この「ヤーノシュ1世」の解説は、「東ハンガリー王国」の解説の一部です。
「ヤーノシュ1世」を含む「東ハンガリー王国」の記事については、「東ハンガリー王国」の概要を参照ください。

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