モーツァルトとの親交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/03 19:35 UTC 版)
「ヨーゼフ・アイブラー」の記事における「モーツァルトとの親交」の解説
アイブラーはハイドンを通じてモーツァルトに出逢い、その指導を受けた。アイブラーはモーツァルトに信用されて、歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》のリハーサルを任され、その後も同作品のいくつかの上演で指揮をとった。 1790年5月30日にモーツァルトは、アイブラー宛てに一通の証明書を送った。「下に署名する私は、これを有するヨーゼフ・アイブラー氏が、かの名高き大家アルブレヒツベルガーの高弟であり、しっかりした基礎のある作曲家であり、室内楽にも教会音楽の様式にも等しく通じ、芸術歌曲の分野にも熟練しており、そのうえ洗練されたオルガン奏者やクラヴィーア奏者であることを認めます。手短に言えば、これほどの新進作曲家に、惜しむらくは、並び立つ相手がいないということです。」 モーツァルトとアイブラーは終生の友であった。アイブラー曰く、「私は恵まれたことに、何の隠し立てもなく、彼が亡くなるまで友人でいられたし、その最期の痛ましい日々のあいだも、私が彼を寝床に抱えて寝付かせ、看病したのです。」 モーツァルトの死後、未亡人のコンスタンツェは夫の未完成の《レクィエム》を完成させてくれるようにとアイブラーに持ちかけた。アイブラーは努力はしたが、その要求をかなえることはできなかった。おそらく、モーツァルトの音楽に対する尊敬の大きさが邪魔になったのだと考えられている。結局その任務を完成させたのは、ジュースマイヤーであった。
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