モーツァルトとのトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/12 06:52 UTC 版)
「ジュゼッペ・カンビーニ」の記事における「モーツァルトとのトラブル」の解説
1778年にモーツァルトは3度目のパリ滞在を始めた。同地でコンセール・スピリチュエルという1725年以来テュイルリー宮殿で行われている演奏会で演奏するため、交響曲第31番『パリ』とオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲を作曲した。交響曲第31番は7月に演奏されたが、協奏交響曲の方は、初演直前に楽譜が行方不明となってしまった。1778年5月1日の父レオポルト宛ての手紙において、モーツァルトはカンビー二の妨害ではないかと疑い、またその理由を次のように記している: 初めて会った時、何も知らずにしたとはいえ、ひどい目にあわせたのです。この人の四重奏の1つをぼくは聴いたことがあります。とてもきれいな作品で、なかなかいい曲です。ぼくはカンビーニにあれは良い曲だとほめ、始めの方を弾いて聴かせました。ところがそこにリッターとラムとプントがいて、いつまでもぼくの演奏を止めさせないのです。カンビーニが知らないところは自分で作って弾けばいいというので、ぼくはそうしてやりました。すると、彼はすっかり度を失ってしまって、思わず「こいつはすごいやつだ!」などと言ってしまったのです。こんな事があったのであの人はきっと、いい気持ちはしなかったと思います。 しかし、カンビーニはモーツァルトを高く評価しており、彼の作品を筆写していることや、本人が明確に否定していることなどからも、妨害の犯人が彼である可能性は高くない。
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