モンマルトルの現在
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モンマルトル美術館は、モーリス・ユトリロ、シュザンヌ・ヴァラドンがアトリエを構えていたベレール邸に入っており、ブドウ畑時代からエコール・ド・パリに至るモンマルトルの文化・歴史を知ることができる。美術館のもう一つの建物で主に企画展に使われるドゥマルヌ邸(2012年に改修)はモリエール劇団のロジモン(フランス語版)こと、クロード・ド・ラ・ローズ(1640-1686)や画商ジュリアン・フランソワ・タンギー(ゴッホ作『タンギー爺さん』)が住んでいたことで知られる。ベレール邸もドゥマルヌ邸もモンマルトルで最も古い館であり、ルノワールはこの敷地に1875年から1877年まで住み、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876)、『ぶらんこ』(1876)、『モンマルトルのコルトー通りの庭』(1876) などを制作した。他にもエミール・ベルナール、ラウル・デュフィ、シャルル・カモワン(フランス語版)、などがここにアトリエを構え、詩人のピエール・ルヴェルディ、作家のレオン・ブロワ(フランス語版)などもここに住んでいた。 有名な画家の多くがモンマルトル墓地やサン・ヴァンサン墓地に葬られている。モンマルトル墓地はモディリアーニが自殺した場所でもある。 日夜、多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、キャバレー・ラパン・アジル、ムーラン・ルージュ、ピカソらのアトリエ、ユトリロの描いた風景を訪ねて歩いている。映画『アメリ』の公開後はロケ地めぐりの観光客も増加した。サクレ・クール寺院へは丘の南麓からフニクレールと呼ばれるケーブルカーが観光客を乗せて運行されている。 モンマルトルは歴史地区に指定され、その歴史的景観や特徴を保持するため開発は最小限度しか許可されない。バルベス界隈は移民が多く、アフリカやアラブの物産が手軽に買えるが治安はあまり良くない。一方、モンマルトルの西南麓のピガール界隈はパリ随一の猥雑な歓楽街・風俗街で、風俗店やアダルトビデオ店、アダルトショップなどが並んでいることでパリ市民には有名である。
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