モルガンから楽天球団、放浪時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:47 UTC 版)
「南壮一郎」の記事における「モルガンから楽天球団、放浪時代」の解説
大学卒業後、モルガン・スタンレー証券東京支社に入社。投資銀行部でM&Aアドバイザリー業務をこなす。後年、ここでの経験が社会人・ビジネスマンとしての土台となったと語っている。その後、香港・PCCWグループの日本支社の立ち上げに参画する。 2002年の日韓ワールドカップで日本代表のワールドカップ初勝利を目撃したことから、とにかくスポーツに携わる仕事がしたいと思うようになる。2003年に退職し、株式会社S-1 スポーツを設立。フットサル場の管理やテニス大会の通訳などをこなす。カルチュア・コンビニエンス・クラブの仕事を手伝った縁で、増田宗昭の紹介により三木谷浩史と出会う。2004年9月、三木谷に直談判し、株式会社楽天野球団の創業メンバーとなる。 球団ではチーム運営や各事業の立ち上げをサポートした後、GM補佐、ファン・エンターテイメント部長、パ・リーグ共同事業会社設立担当などを歴任し、球団事業においては不可能とされていた初年度からの黒字化成功に貢献。将来の球団社長候補と見られていたが、まだ若過ぎたことから一度外に出ることを提言される。2007年に楽天を退社し、1年間ほど世界を旅する。
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